懐かしい未来の風景!ローエネルギーで暮らすコミュニティ
「金ちゃん、何の遠慮もなく来てもらってください。」
そこは、ケモノと人間の共同作業が生み出す循環社会で、必要なものはすぐ手に入る自給自足な暮らし。
山づくりは水づくり
水づくりは川づくり
川づくりは里づくり
全部揃って海づくり
山や川、自然をねじ伏せる暮らしではなく、自分たちがしなやかになり寄り添う暮らし。
自分にないチカラは、他に存在し、それを遠慮なく使える。
生き物も、植物も、微生物も、自然界はそうやって、無意識的に生かしあっている?
ワタスらは、この自然のルールの中で解放され、全てがよりよく生きるための一人として存在する。
カラダのもつ恒常性や進化や能力は、自然の中で覚醒するが、まともな風も吹かない近代的な環境では、その能力は眠る。
自分が病気、病人というものであると、知覚してしまった時に縛られる心。
それを他や自然の中に存在するものが、呪縛を解消してくれるかもしれません。
呪縛の解消
能力の覚醒
カラダが自分にやろうとしていること、
カラダの声、
それに、気づく場所がある。
いまからの命の快進撃
人のカラダは自ら死を選ばない。
教育された知識内での意識は死を選択する時がある。
意識が死を選択しようとしたときに、それを拒む潜在意識がいる。
そいつを解放してしまえ!
それが「まんまで生きてても、ただの人間」っつーもんぢゃて。
そこでは、今からの本当の自分を見ることができる。
この世に生まれて、初めて知る「本当の自分」「本当の家族のカタチ」に会いに行くことができるかも知れない...
以前は、障がい者の福祉施設だった山中のある空き家。
空き家といっても、そこそこ大きな施設です。
(居住区)
26の個室
9つの共有スペース
2つの浴室
6つのトイレ
4つの洗面室
1つの大きな食堂とキッチン
11の倉庫
駐車場(約30台)
ここには現在、親友家族を含む4組で11名の人が住んでいる。
自然の中で覚醒した生き方、
電気、水道、ガス、インターネット代を折半。
家賃はかからない。
ライフラインの月額をみんなで割って払うだけ。
その他、自分の生活費などを含めても5万円あれば生活できてしまう。
ただし、管理された福祉施設ではないのだ。
自分たちでまかなっている。
がん患者、家族との対話から知る事実
がん宣告から、治療中の現在まで家族内での「いざこざが絶えない」といった現状がガンに比例して増えている・・・
自営業を営んでいたご主人が癌になり、収入源が途絶え、ピリピリしたムードの中で、発達障害の子供に「いらいら」を隠せなくなる。
そんな自分への罪悪感も増幅し、人間としての心を失っていく・・・
その中で、病気、癌と向き合うと、日々生きることに対する精神的苦痛が増幅してしまいます。
そんな自分への罪悪感も増幅し、人間としての心を失っていく・・・
その中で、病気、癌と向き合うと、日々生きることに対する精神的苦痛が増幅してしまいます。
第一回 がん哲学外来メディカルカフェ BIOFACH
がん哲学外来とは、癌患者、家族、その他の専門家や一般の方が、プロボノ的に運営し、すべての患者と家族の苦痛の軽減、療養生活の質の向上、がん医療に関する相談支援、情報提供を行う場である。
つまり癌の方々が病院、セカンドオピニオン以外で相談や語り合い、情報収集ができる外来です。
全国各地に拡大している中、阿倍野区のビオファでも新たに開設される運びとなり、ワタスたちは責任者として、初の開催を終えました。
ビオファでは、これまで「食」をベースに、病気そのものの解決にむけた食育や栄養学的な情報でサポートしてきましたが、それらも一方通行的な発信であり、もっと気楽に患者や家族からの発信を受け入れる場「がん哲学外来」を開設いたしました。
このがん哲学外来においては、医師たちの中にある「患者の生き方や人生に関心」を持ったとしても、それらについて十分に「対話する時間的余裕」がない現状をフォローする役割も果たします。
solution
解決方法は様々だけど、この家族にとっての最善とは何か?
ガンがもとで生じた雇用の問題。
相談者の場合は、自営業であったが、治療との両立は厳しくなってしまったこと・・・
そもそも、カラダにとっての仕事とは何か?
それは、食べ物を取りにいく行動用に設計されているわけで、頭は主に知恵を使って、その食べ物を狩る、または穫るために使う。
ところが、現代はそれが間接的になり「稼ぐ」といった方向で頭を使い、カラダを使う。
そのために幼いころから「教育」によって「計算」と「記憶」を繰り返す。
頭とカラダが同じベクトルに存在せず、座ったまま頭だけが動き続けていたり、感情を抑えて記憶通りに単純な行動を続けたりとストレスが増えることばかり・・・そのうえ病気になっても、頭だけで状況を知覚し、医学にしても栄養学にしても、受信と記憶でなんとかしようという毎日。
救世主は自然
病気に意識を奪われ、窮屈な生活の中で、家族までもが障りに感じてしまったり・・・
そういう状況の方に「今、自分にとって一番カラダも心も休まると思える場所を想像してみてください」と、質問してみると80%以上の方が「海」「森林」「川」「山」など、自然で有機的な光の射す場所を答えられます。
それをカラダは知っているのではないでしょうか?
その想像に浮かんだ環境で、家族の態度が億劫に感じたり、病気に対し「死」だけをイメージして逃げごしな意識は軽減されるのではないだろうか?
「海」「森林」「川」「山」カラダは「そこに行け!休め!」というニーズを意識に対して発信しているのではないだろうか?
海や森林、綺麗な川の側で、様々な自然に対する「好奇心」が、感情を豊かにし、自分という生命に対する好奇心が、病気を哲学的にとらえる時間がそこにあるのではないか?
日本で一番耕作放棄地の多い場所です。
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